
一度だけ、風景に涙を流したことがある。
20代の夏。
北の大地。
夕暮れ時。
オレンジに染まる海や空や山々。
筆舌に尽くしがたい見事な夕景ではあったけど、北の地を走っていればよくある風景で、その時は、宿のチェックインが迫っていて、少し急いでいた。
ふと、遠くから名前を呼ばれた気がして、アクセルを緩めた。
風切り音だったかもしれないけど、なんだか母親の声に似ていたように思えて、エンジンを切り、耳を傾けた。
一台のトラックが過ぎ去り、やがて何も聞こえなくなった。
風の音も、鳥の声も、なにも聞こえない。
静寂というより、無音。
自分のブーツが地面に擦れる音だけが聞こえていた。
海を見ると、太陽がちょうど沈む間際で、最後の光がどんどん小さくなって、点になって、水平線に消えるところだった。
その瞬間に涙が溢れた。
感動とかいった類のものではない。
今でも説明がつかないし、あの時以来それはない。
来月はそんな記憶の風景。
夏です。