
やりたいことは
全部やる
あそこと関わってみたい
あの子と付き合ってみたい
あのバイクに乗ってみたい
あの国に行ってみたい
こんなものを作ってみたい
そんなものが今あるなら
それはとてもラッキーなこと
失敗しようが、成功しようが
そんなことは大した問題じゃない
やってみることに価値がある
人生はそのために用意されていると思う。
「白いTシャツと黒いバイク。」公式ブログ
やりたいことは
全部やる
あそこと関わってみたい
あの子と付き合ってみたい
あのバイクに乗ってみたい
あの国に行ってみたい
こんなものを作ってみたい
そんなものが今あるなら
それはとてもラッキーなこと
失敗しようが、成功しようが
そんなことは大した問題じゃない
やってみることに価値がある
人生はそのために用意されていると思う。
ギミックが人気で、あっという間に完売してしまったこちらのコレクション、本日、初回オーダー分がようやく完成しまして、発送完了しましたので、再製作分のオーダーを受付けたいと思います。
やはり、どうしても製作に時間を要する為、今回もまた5オーダー限定とさせていただきます。
発送は8月頭になります。
どうぞ宜しくお願いします。
“なりたい”から”なる”に至る間の、”なりかけ”という状態が一番キツくて、泥臭くて、美しい。
それまで勢いでできたことが、うまくいかなくなるし、妥協もしなくちゃいけなくなる。
あれほど立ちたかったステージが、この世で一番嫌いな場所になりさえする。周りにすげぇだのかっけーだの失敗するだの言われてるうちはまだまだ全然入口で、いざ歩き始めると、もう誰の声も光も届かない。
長い長いトンネルみたいなところをひとりぼっちで歩かなくちゃいけなくなる。誰も先導できないし、連れていくこともできない。
つらいだろう、こわいだろう、でも、それこそがホントの道である証拠だ。
闇の中で、はじめて自分と対峙して、自分がいかに些末で矮小で卑しい存在であるかを知る。
でも、そんな自分でも存在していることは確かで、そのトンネルの中では唯一の相棒だ。友達や恋人、親兄弟を信じなくてもいい、信じる必要もない。いずれにせよ他人だ。
ただ自分で自分を信じられなくなったら終わりだ。誰がなんと言おうと、それだけは諦めちゃいけない。もし、諦めたら、そのトンネルにはもう二度と入ることはできない。だから楽しみ、美しいと思い、前に進むことだけを考える。
戻ってもそこにはもう誰もいない。そんな長い長い闇の先に”なる”がある。
そんなトンネルがこの先何本もあるんだと思う。
一度だけ、風景に涙を流したことがある。
20代の夏。
北の大地。
夕暮れ時。
オレンジに染まる海や空や山々。
筆舌に尽くしがたい見事な夕景ではあったけど、北の地を走っていればよくある風景で、その時は、宿のチェックインが迫っていて、少し急いでいた。
ふと、遠くから名前を呼ばれた気がして、アクセルを緩めた。
風切り音だったかもしれないけど、なんだか母親の声に似ていたように思えて、エンジンを切り、耳を傾けた。
一台のトラックが過ぎ去り、やがて何も聞こえなくなった。
風の音も、鳥の声も、なにも聞こえない。
静寂というより、無音。
自分のブーツが地面に擦れる音だけが聞こえていた。
海を見ると、太陽がちょうど沈む間際で、最後の光がどんどん小さくなって、点になって、水平線に消えるところだった。
その瞬間に涙が溢れた。
感動とかいった類のものではない。
今でも説明がつかないし、あの時以来それはない。
来月はそんな記憶の風景。
夏です。
センスはどうやったら身につくの?と聞かれる事が多いのだけど、僕にも分からないし、そもそも自分自身にセンスがあるとも思ってない。
好きなことを好きなようにやってるだけだし。
ただ、かっこいいな、美しいなと感じた時に、なんでそう感じたのか、何をどうするとそうなるのかを考える癖は昔からあったと思う。
美しいものは真似したいもの。
美しいと思う感覚こそがセンスとか言われるとどうしようもないけど、その感覚が全くない人なんているんだろうか。
みな、何かしらの美的感覚があるはずで、それをうまく自己表現できた時に”センスがある”となるのかなあ。
いや、たまに、とんでもない表現になってしまってる人もいて、度を超えると、奇抜な、とか、個性的とか言われるようになる。
というわけで、広辞苑を引いてみる。
センスとは物事の微妙な違いや味わいを感じとる力。物事を分別する力。良識。正常な感覚。
つまり、一般の人々に受け入れられやすい形で、自己表現ができる人のことをセンスがあるということかな?
うーん。
そんなセンス欲しいですか?
モーターサイクルに限らず、テーブルでも食器でも建物でも、全てにおいて、縁が素晴らしいものは大体美しい。
GPz900Rのフロントカウルの先端とか、XJS-V12のリアウィンドウの両脇のところとか、DTの空冷エンジンのフィンとか、このヘルメットの縁取りのところとか…そういう思わず触れたくなるような縁を携えているモノを美しいと、僕は感じる。
そして、それは自分が作り出す、アートやデザインでも同様で、必然そういうところに執拗にこだわってしまう。
Tシャツだってそう。
あの襟ぐりの挟み込みバインダー、触りたくなるでしょう?笑
シャツを畳む時も、中紙を挟み込み、角をきっちり立たせて送っておりますよ。
僕は飽きっぽい。
何をやっても、とにかく長続きしない。
趣味にしても、仕事にしても、人間関係においても、ある日突然興味が失せてしまう。
ヤバいほどに熱中して、集中して、周りに期待され始めたあたりで、家のブレーカーが落ちるみたいに突然OFFになる。
生きるのにも飽きたことがある、所謂、社会不適合者だ。
…と、以前に告白したことがあるけれど、実は、長続きさせるコツというか、飽きてもまた輝かせる方法を見つけている。
でなければ、”白黒”が10年以上も続いていない。
最近は、この飽きっぽい性格がいい方向に作用することにも気づいた。
同じ事を、同じ方向で、ずっと続けていくことは、それはそれで尊いけれど、その前にファンが飽きてしまってるということもある。
でも僕は、ファンが飽きるより、もっとずっと前に飽きちゃっているから(笑)、次の策が準備できている。
たぶん、僕は、この仕事に向いていると思う。