最終オーダー開始のお知らせ

SIROKURO PATCH JACKET、第3期オーダーを受け付けます。

今回で最終とさせていただきます。

そして、たくさんのオーダーをいただき本当にありがとうございます。

このジャケットに込めた想いを少しだけ…

ブランド設立より10年、そして、ようやく11年目を迎えることができました。

モーターサイクルに付随する様々なモノとコト、哲学は、バイクに乗っている人はもちろん、バイクに乗ったことのない人々にも、カッコいいと感じてもらえるし、それらをアートとして落としこんだTシャツ達は、直感的に楽しむことができるものと信じて、「モーターサイクルを日常に」をブランドのテーマとして掲げてきました。

結果として、たくさんの白黒ファンが生まれたことは私にとって何よりの誇りですし、自信にもつながりました。

これからの10年を考えた時、海外のまだ見ぬ仲間たちに何らかのアクションを仕掛けていこうと思っています。

このアクションは何年か前から少しずつ仕掛けてはいますが、今現在、はっきりとしたビジョンとなって、そのドアは私の前に開かれています。

世界に発信する際のブランド名は「White Tees & Black Moto」と決めました。

またしても長ったらしいブランド名ですが、「白いTシャツと黒いバイク。」が「白黒」となったように、このブランド名が「W.T.B.M.」となるよう活動していきます。

日本から世界へ。
刀鍛冶が刀を打つ(forged)ように、私も取り組みたいと思います。

W.T.B.M.
forged in Japan
since 2011

これが僕らのマイルストーンとなることを祈って。

努力が嫌い

「女」を「又(手)」でつかまえて、その奴(奴隷)に「力(鋤)」をもたせて「努」と成す。

嫌いなんだ、そんな言葉が。

苦手なこと、向いてないことに使う言葉で、好きなことに対して使う言葉じゃない。

世の中、努力ではどうにもならないことの方が、圧倒的に多いのだから、自分にないものを欲しがるより、自分にあるものを磨いた方がいい。

それが自分のみならず、他人をも幸せにする。
人々の幸せのために使われる才能こそ、なんとやらだ。

人生は短い。

ないもの探しをしているうちに終わってしまうよ。

アーティストの本性

今にはじまったことではなく、物心ついた時からものいじりが好きだった。

好きというより、もはや病的な勢いで、いじり倒していた。

子どもの頃は”いじり”が過ぎて、ほとんどのモノがバラバラになったまま、もとに戻ることはなかった。

いわゆる壊し屋。

それが最近になって、ようやく壊れないようになった。

これは、元は、とあるメーカーのアルミ鋳造のテールランプ。

beforeを撮り忘れてしまったけど、もはや原型のデザインは全くとどめていない。

バラバラに分解した後に、思うまま、感じるままに、余計な装飾を削り落とし、貼り付け、磨きあげた。

気づいたら夜になっていて、飲まず食わずの一日。

作るだけ作って、完成したら、もう飽きてしまう。

同じものを、また作る気には到底ならない。

残るのは、世にないものを創り出したという満足感だけ。

日光の杉並木

鬼怒川を抜け、日光に差し掛かる頃には、街の匂いがしてきて幻滅する。

陽はすっかり暮れていたけど、インターに入る気にはならず、そのまま下道をひた走る。

この街道の入り口は少しわかりにくい。
でも、帰省のたびに走っているからわかる。

スタンドが目印だ。
そこから路地に入って、右に左に角を曲がり、程なく並木道に入る。

樹齢400年クラスの太く高い杉の木が、道に沿って連なっている。幅員が狭いくせに、木が高いから、やけに遠近感を感じる。

雲が切れ、大きな月が、ぽっかりと闇を切り抜いていた。
道も幹も青白く照らされ始める。

腐海の底みたいだなといつも思う。
僕にはそういう風に見えている。
走ってる時に何を想像しようがその人の勝手だ。

ここを抜けたら旅は終わり。
その先は単なる移動と言っていい。

対向車線の彼方に車のライトがぽつんと見えた。

猫バスかもしれない。

10月カレンダーは日光杉並木街道。
秋の夜長をお楽しみください。

染色×シルクスクリーンが美しすぎた

染色とシルクスクリーンふたつの技法を組み合わせたコレクションです。

生地の水分量、染色の時間や深さ、洗い上げるタイミングを調整しながらボディ自体を染めたあとに、シルクスクリーンプリントでゴーグル部分を刷り上げました。

ゴーグルにも染料のカラーに近づけたインクを調色、グラデーションプリントを施し、”染め”と”刷り”の両方でグラデーション技法を使った稀有なコレクションとなります。

決して大量生産品では実現できない一点物、あなただけのMOTO-ARTをお楽しみください。

お客様の様

つくりたいものをつくってはいるけれど、そこに対価を支払ってくれる人たちのことを忘れたことはない。

誰だって、最初から完璧なものを作れるわけじゃない。だからといって完璧なものができるまでやっていたら、一生かかってしまう。

完璧に到達するまでの途中にも関わらず、対価を払ってくれるから、お客”様”というのだと、これは僕なりの考え。

もちろん、完璧ではない代わりに、ある程度の完成度を満たしたものしか売らないけど、それにしてもありがたい存在だし、お客様なしでは、材料も買えなければ、生きていくことすらできない。

いわばお客様は水を与えてくれる存在で、僕は種みたいなものだ。

だからこそ、新しい手法やアイデアを考え続け、枝を伸ばし、根を張り、完璧な木に育てなければならない。

ブランドってそういうものだと、これも、僕の考え。

2014年のふもとっぱら

それはまだ、僕らが駆け出しの頃。

富士山の麓にやたら広いキャンプ場があった。

まだ聖地とかいわれる前の頃。

いつも自由だった。

充分すぎるほど自由なのに。

自由を求めていた。

今となっては叶わない。

なにもかも。